#24 コンギツネとバレンタインデー
2月14日、その日僕は、仕事を終えた帰り、
会社からの帰り道の途中にあるスターバックスに立ち寄った。
コーヒーを飲みながら、ゆっくり読書をするためだ。
以前は、家に帰ってからも、のんびりと本を読むことができたのだが、
今は、家に帰ると1匹のキツネがいるため、なかなか静かに読書することが出来ない。
そのため、会社の帰りなど、たまにこのスターバックスに立ち寄り、1人で好きな本を読むことが、趣味のひとつになっていた。
店に入るとまず、飲み物を注文するため、カウンターに並んだ。
すると、
「あら、いらっしゃいませ!
こんにちは、また来てくれたんですね。」
と、1人の店員さんが声をかけてきてくれた。
彼女の名前は、サトウさん。
僕がよく、この店舗に来ているうちに、顔見知りになり、世間話をするようになった女性の店員さんだ。
年齢は、30歳代前半くらいだろうか。
「あ、どうも、こんばんは。今日も仕事の帰りなんですよ。」
僕は、そう言って挨拶したあと、エスプレッソのコーヒーを注文した。
サトウさんは、手際良くコーヒーを入れて持ってきてくれた。
その後、お会計を済ませたとき、
「だけど、今日来ていただけて良かったです。これ、お渡ししたいと思ってたので。」
と、彼女がそう言った。
そして、何らや"小さい紙袋"を僕に手渡してきた。
薄い水色の可愛らしい袋だ。
僕は、
「‥え?なんですか、これ?」
と、聞いた。
お店からのサービスか何かだろうか。
しかし、サトウさんは、
「これ、私からのプレゼント、というか、
バレンタインのチョコレートです。
いつも、お店に来てくれているお礼にと思って。」
と小声で言った。
え?バレンタインのチョコレート?
僕は、少し驚きながら、
「‥え?あ、ほ、本当ですか?
‥いいんですか、もらっちゃって?」
と聞いた。
そういえば今日はバレンタインデーだった。
が、まさか、こんなところでチョコレートをもらえるとは思わなかった。
彼女は、
「ええ、もし良かったら。
‥あ、というか、もしかして、彼女さんとかに悪いですかね?」
と言ってきた。
僕は、
「‥あ、いえ、全然!
ていうか、彼女とかいないですし。」
と答えた。
僕は、もう33歳にもなるのだが、未だに独身であり、それどころか恋人ももう何年もいなかった。
すると彼女は、
「あ、そうなんですね。じゃあ、ぜひ食べてください。」
と言って、にっこりと笑ったのだった。
その後僕は、後ろに次のお客さんが並んだこともあり、
コーヒーと、受け取った紙袋を持って、レジを離れた。
そして、しばらく読書をしたのち、スターバックスを後にし、家路についた。
帰る途中、僕は、予期せぬ女性からのプレゼントに、なんだか胸がドキドキしていた。
それから、僕は家に着き、
「ただいまー。」
と、家のドアを開けた。
すると、開けるなり、家の中からコンギツネがバタバタと駆けてきた。
コンギツネは、手に何やら、お皿に乗せられた"泥のかたまり"のような物を持っていた。
‥何だ、あれは?
コンギツネは、その泥のかたまりのような物を、僕に向けてつき出すと、
「おかえりなさい!そして‥、
ハッピーバレンタイーン!!」
と、嬉しそうに言ったのだった。
僕は、
「え?あ、ああ、ただいま‥。
‥ていうか、何それ?」
と、コンギツネが手に持っている物を見ながら聞いた。
すると、コンギツネは、
「チョコレートケーキですよ!
今日、2月14日はバレンタインデーと言って、女性が男性にチョコレートを贈る日だと聞きました!
なので、私が1日かけて作ったんです!!」
と、鼻高々に答えた。
「‥‥え?‥本当に?」
まさか、コンギツネがチョコレートケーキなんか作っていたとは‥。
‥‥‥
‥まあ、一目見ただけでは、なかなかケーキとはわからない代物だが‥。
それから僕は、台所の方にちらりと目をやった。
すると、台所はまるで野戦病院のように、とっ散らかっていた。
あちこちに、調理器具や食材が投げ出され、テーブルや床や天井にまで、粉やら生クリームやらが飛び散っていた。
コンギツネが、四苦八苦しながら、難しい料理をしていた様が、目に浮かぶようだった。
その台所の惨状を見るにつけ、僕はいつもなら、文句のひとつも言ってやりたくなるところだった。
しかし、料理の下手なコンギツネが、僕のために一生懸命チョコレートケーキを作ってくれたのだなと思うと、
率直に嬉しい気持ちになった。
なので僕は、
「そうなんだ。
それは、どうもありがとう。」
と素直に返した。
一方、ニコニコしていたコンギツネだったが、
僕が持っている紙袋に気がつくと、
「あれ?その袋は何ですか?」
と聞いてきた。
そこで、僕は、
スターバックスで、顔見知りの店員さんからチョコレートをもらったといういきさつを話した。
すると、コンギツネは、
「‥ふーん‥。」
と言いながら、紙袋をしげしげと眺めた。
そして、
「ちょっと、出してみてもいいですか?」
と言って、紙袋からチョコレートを取り出した。
取り出されたチョコレートは、とても美味しそうなトリュフチョコだった。
市販のラッピング素材のような袋に入れられていたため、どうやら手作りであることは間違いなさそうだが、
しかし、お店で売っていてもおかしくないくらい、綺麗で、高級感のある出来栄えのチョコであった。
僕は、
「すごい、さすがスタバの店員さんだなあ。
こんな売り物みたいなチョコを作れるなんて。」
と感心しながら言った。
一方、コンギツネは、そのチョコを見ながら、
「‥‥‥‥。」
と、何やら黙っていた。
また、袋の中には、1枚の手紙も入っていた。
手紙には、
"いつも、お店に来てくれてありがとうございます。
これからも、よろしくお願いしますね。^_^ "
と書かれてあった。
可愛らしい手書きの文字だった。
僕は、こんなふうに女性から贈り物や手紙なんかをもらうのは、本当に久しぶりのことだった。
そのため、ものすごく感激し、とても嬉しい気持ちになっていた。
一方、コンギツネは、
その手紙をしげしげと見ながら、
「‥‥‥‥
‥ふーん‥‥‥。」
と無表情でつぶやいていた。
つづく